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トイ・ストーリー4を観て悲しみだけが残る(ネタバレあり)

By 2019年7月27日 No Comments

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https://www.disney.co.jp/movie/toy4.html

トイ・ストーリー4を観てきた。色々思うところがあるので感想を書き殴っておく。冒頭からがっつりネタバレがあるし、とっ散らかってるので要注意。

本題の前に、声優について

いきなり本題を書くと意図せずネタバレを読んでしまうことになるかもしれないので、少し違う話題。

本作で初登場となる、ギャビー・ギャビーの声優を新木優子が演じているのだけど、これがとても良い。

棒と言えば棒なんだけど、聞けば聞くほどボイスボックスが壊れているギャビー・ギャビーの設定にぴったりな、話すのが下手で普通の会話もセリフにしか聞こえないように感じられる。

昭和の映画の女性の話し方を彷彿とさせる、芝居がかったセリフ回しがギャビー・ギャビーという古い世代の、話下手な人形のある種の不気味さを上手く醸し出していて味があった。

www.youtube.com

とほんの少しだけ声優について触れたところで、本題に。

与えられた役割から脱却は正しいんだけど、これまでのことはどうなるの

「与えられた役割から脱却」が本作のテーマ。

トイ・ストーリー、トイ・ストーリー2では可憐な、女の子のおもちゃとして登場していたボー・ビープが、野良おもちゃとして強く頼れるキャラクターとして本作では復活することでこの脱却を誰よりも体現し、葛藤の末に仲間たちと別れて野良おもちゃとして生きる選択をするウッディも本作を通して脱却する様子が描かれている。

その一方で、おもちゃとして子供に遊んでもらうことに思いを馳せ、意を決して子供に拾ってもらうことで自分の役割を全うするギャビー・ギャビー、引き続きボニーのおもちゃとしてボニーを見守っていくバズたちといった、与えられた役割を貫く面々も否定されることはなく、全体としてバランスが取れている描き方だと思う。

こうしたテーマの扱いだけでなく、細かいところも本当に良く出来ていて単体の映画作品としてはとても良かったというのがまず率直な感想である。

しかし、本作はトイ・ストーリー4。トイ・ストーリー3の続きであり、トイ・ストーリーシリーズの現時点での完結作となっていることを思うと、トイ・ストーリーのこれまでの流れを踏まえる形で作って欲しかったという思いが私の中には強くあり、トイ・ストーリー3が本当に好きなので、本作のウッディの選択には納得がいかなかった。

ウッディの選択

ウッディがボニーの元を去る選択をするのは、ボニーに遊んでもらえていない、恋仲だったボー・ビープと再会する、野良おもちゃという新しい世界を知る、この3つを踏まえて自分の内なる声に従うという展開なのだけど、これがトイ・ストーリー3の最後でアンディと一緒に大学に行かず、子供に遊んでもらうこと、仲間と居ることを選びボニーの元に自らやってきたウッディの選択だと私には思えないのだ。

誰だって心変わりすることはあるし、まあそれが仕方ないこともあるのだけれど、トイ・ストーリー3のクライマックス、焼却炉でみんなで死を覚悟して手をつなぐシーンを思い出すと、そんなに短期間で仲間と別れられるのかという怒りにも近い疑問が湧いてくる。

トイ・ストーリー3からトイ・ストーリー4までの間に劇中でどれくらいの時間が空いたかは調べられなかったのだけど、保育園児が幼稚園に行き始めるくらいの時間なので1、2年といったところだと思う。なので、ウッディがボニー遊んでもらえなかった期間はどんなに長く見積もってもせいぜい2年くらいで、トイ・ストーリー2からトイ・ストーリー3の間にウッディが大きくなってしまい遊んでもらえていなかった時間と比べるとだいぶ短いと言っていい。

ウッディは自分が一番で居たい性格だというのがトイ・ストーリーで示されているから遊んでもらえないことを極端に嫌がる、恐怖に思うのは分からなくもない。ボニーに遊んでもらえなくなり始めて、アンディの時のようにこのままずっと放っておかれることだってあり得るのだから。

ただ、トイ・ストーリー3で屋根裏にしまわれそうになるみんなに大丈夫だと説得していたのもウッディであり、おもちゃとしていつか子供に遊ばれなくなることをウッディ自身が覚悟しているからこそみんなを励ましていたとばかり思っていたが、トイ・ストーリー4でのウッディを見ていると、トイ・ストーリー3のこうした対応も全部適当な虚勢だったような気がしてきて悲しくなる。

トイ・ストーリー3の最後でアンディと一緒に大学に行けたにも関わらず、みんなと居ること、新しい持ち主に遊んでもらうことを自ら選んだウッディはどこへ行ってしまったのか。

シュガー・ラッシュ:オンラインでも描かれたテーマである

もう一つ気になったのは、この「与えられた役割から脱却」はシュガー・ラッシュ:オンラインでも描かれていたことだ。ピクサーとディズニー本体ではスタジオが違うけど、立て続けに同じテーマをやられると比較せざるを得ない。そういえばアナと雪の女王とマレフィセントで、どちらも「真実の愛」がテーマとなっていたこともあった。

シュガー・ラッシュでは、アーケードゲーム内の役割がそれぞれの登場キャラクターに設定されている。

ヴァネロペは本当は女王だったのに、その役割を隠蔽させられて長らくはみ出し者のキャラクターとしてゲーム内で過ごさざるを得なかった。ラルフのおかげで無事に元の役割を取り戻すものの、その役割に固執せずゲームを平和にするというのが一作目のシュガー・ラッシュ。そのラルフは悪役という役割が嫌になるけれど、みんなと仲良くなって悪役にもやりがいを見出す。

2作目のシュガー・ラッシュ:オンライン。すべてが解決して今更本来の役割を与えられたところで、はみ出し者としてスリリングなことをやってきたヴァネロペにとってはシュガーラッシュがどこか退屈で、オンラインの世界にあるより激しいカーレースであるスローターレースの世界にヴァネロペが旅立ってしまうというラストを迎える。ラルフはオンライン動画で人気が出るものの、紆余曲折を経て元のアーケードゲームへと戻ることになる。(主人公はラルフのはずなのに割と描かれ方が雑というか不憫)

ウッディが仲間たちと別れるように、ヴァネロペも友達であるラルフと別れることを選んでいる。ただシュガー・ラッシュ:オンラインでは、ラルフとヴァネロペがオンラインで連絡を取る場面があり、その関係を維持していることが窺えるラストになっている。この辺もトイ・ストーリー4とは異なる。

ヴァネロペの選択には1作目、2作目を通して描かれている明確な流れがあるから納得がいくし、2作目で1作目の展開を台無しにすることは全くないし1作目をきちんと踏まえての2作目になっている。シュガーラッシュの方がこのテーマをよく描けていたと私は思う。

これまでを否定するのはアリなんだけど

トイ・ストーリー4の話に戻ると、トイ・ストーリー3までの積み重ねがあったからトイ・ストーリー4で役割から脱却することにカタルシスがあり、より感動的になるというのも頭では理解できるのだけど、トイ・ストーリー3のラストをとても気に入っている私の感情が追い付かない。

また、3から4までの間を描いたスピンオフ作品では引き続き、3のテーマを引き継いでおもちゃとして子供に遊んでもらうことが主に描かれているし、ウッディもボニーの旅行に付いて行っている。他のキャラクターの方がフィーチャーされていて、ウッディがボニーにそんなに構ってもらえていないという布石はあるのだけど。

自分の内なる声に従って自分の生き方を選択するのは結構なことなのだけど、トイ・ストーリー3までのことを思うと、これまでの積み重ねを軽視して現状の気持ちに基づく場当たり的な決断を取っているようにしか思えなかった。

そもそも野良のおもちゃって何なんだという話なのだ。失くしたおもちゃがどうなるかを確かに人間は知らないけれど、おもちゃはどんなに頑張っても生命体ではないので野良犬みたいに勝手に生きていくことは絶対にない。なんだけど、その現実のラインを無視してしまう本作。

トイ・ストーリー3で不要になったおもちゃの処分、持ち主が失くしてしまったおもちゃであるロッゾが既に描かれているので、なくなったおもちゃが野良おもちゃになるというあまりに現実離れした展開は不必要だったのではないか。

繰り返しになるけれど、単体の作品としては良かった。でも、これまでのトイ・ストーリーは何だったのだろうかという気持ちが湧いてくる内容だった。

与えられた役割からの脱却という話を骨子にするのは理解ができる。ジェンダーロールだってそうだし、決められたレールの上を走るだけの人生ではつまらないというのが率直に言って現在のトレンドである。妥当なテーマだ。

ただ、もうシュガー・ラッシュ:オンラインでやってるし、それをおもちゃの話であるトイ・ストーリーシリーズでやる理由はあまりないと思っていて、個別の映像作品でやってほしかった。

トイ・ストーリー5に期待している

もしトイ・ストーリー5があるとするなら、3で出てきたアンディの子供に遊んでもらうというセリフを回収して、ウッディが時を経てアンディの子供に何らかの形で出会う展開を願ってやまない。

そしてその時には本作のようにウッディが周りに助けてもらうだけではなく、仲間と協力してそれぞれに見せ場があるような描き方であればこの上なく嬉しい。